狂気について

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僕には良心というものが備わっていると想う。それは生まれてから今まで出会った沢山の人達の、言葉や生き方が僕のからだに蓄積された結果である。ということは僕の良心は人生の先輩たちから授かったとも言えるだろう。他人に親切にしなさい、誠実でいなさい、親を大事にしなさい、寛大な心をもちなさい、世界の平和を祈りなさい。なるべくならそうしたい。もうそれがいいことに決まっているのだから、そうすれば自分も周りの人も世界も良くなるに違いない。今まで僕に出会ってきた沢山の人達の言葉にも答えらえる。よし、これからは良心にしたがって行動しよう。僕の行動によって世界が少しづつでも前に進んでいければいい。

ここで僕のからだに大きな異変が起こる。何か得体の知れない感情が腹の奥の方から吹き出してくる。今まで抱いていたとてもきれいで人当たりの良い聖人みたいな思い込みを、手当たり次第に真っ黒に塗りたくってゆく。これは自分こそが真実であるかのように迷いがない。そして全部真っ黒になってしまったら、なんだか静かになってくる。
しかし僕には良心が備わってるはずなので、すぐに前のきれいな気持ちがもどってくる。

腹の奥に何か邪魔するものがある。もしくは腹の奥に真実がある。
腹の奥はもちろん僕のからだの大事な部分だが、一部分にすぎない。手術で腹の奥を取り出すことはできるかもしれないが、それでは長く生きていけない。長生きが僕の目標だ。そして僕に備わっている良心に従えば、やはり人生の先輩たちの言葉は守るべきだ。長生きしなければ自分も人生の後輩たちに言葉を残せない。

ここで問題になるのは僕のからだに備わっている良心と、腹の奥から湧きあがってくる真実の様なものとの友好条約をどうやって結ぶかということだ。この二つは全く違う性質をもっていて容易には相容れない。良心は人生の先輩=他人によって僕のからだに植え付けられたものといえる。そのため他人と関わるときや社会で生きていくためにはとても大切なことだ。腹の奥の真実は自分自身のためにあり、常に自分自身のものでしかない。しかしそれだからこそ自分の幸せの為には必要不可欠なものだ。この二つの全く異なるものを友好的に結びつけるには正規ルートでは難しい気がする。イスラム国とアメリカが友好条約を結ぶなんてことが可能かどうかわからないが、もし実現するなら相当な裏取引が必要だろう。それと同じような、強引とも思える裏取引が僕のからだで行われなければならない。

その僕のからだで行われる裏取引は、やはりかなり強引な方法がとられることになるだろう。うまく運んでくれれば良いが、強引である以上どこかしらに無理がくる。それが様々な形でからだに現れてくるその状態が、僕の狂気の発生回路である気がする。

狂気というと良くないことのように思えるが、こう考えてみるとあって当然のものだ。むしろ狂気があるなら、それをなんとかしなければならないという意志がでてきて、この矛盾だらけの世界のなかで生きていくエネルギーが湧き上がってくる。

そうしていくことでしか生きていけないのだ。きっと僕に良心を植え付けてくれた人生の先輩方も、そうして生きながら僕達後輩に伝えてくれたに違いない。
僕は自分の中の狂気を認め、それをエネルギーにして前に進むしかない。

立本夏山

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by yuichiro_tachi | 2016-03-18 23:09
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